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Michiya Ono

レム・チェン先生(76歳)インタヴュー

更新日:4月16日

レム・チェン先生(76歳)クラークモム小学校

1979年1月7日、ポルポト政権が崩壊した年に先生になりました。(31歳)

シェムリアップから自動車で約2時間、プノンクーレン山頂にあるクラークモウ小学校でボランティア教師をされています。

クラークモム小学校名の由来、場所等詳細は、ブログ「クラークモム小学校訪問日記」をご覧ください。

Q:お年はお幾つですか?

  A: 今年76歳です。

(左から2人目。左は今の校長先生(テプ・ソチアット先生(30歳)。お孫さんです。)

Q:教師にはなられたのはいつですか?

1979年(31歳)です。2009年(60歳)までこの学校の教師をしていました。

今はボランティアで教えています。教え方はインターネットで勉強しています。

Q:1979年当時の事を教えて頂けますか?

 1979年1月7日にポル・ポト政権が崩壊しました。その後大学で資格を取って教師になりました。 「何も無い」(nothing)状態でした。給料もとても安く大変な時代でした。

Q:特に大変だったことは何ですか? 現状は良くなっていますか?

  • 学校に来るための「」がなかったことです。先生は麓から毎日2時間かかけて登ってきました。悪天候の時には学校へ来ることができませんでした。2018年に道ができました。

  • 電気がまだ通っていません。夜は危険なので先生達は朝学校へきて、午前中の授業が終わると自宅へ戻ります。(山を下ります)

  • 今も子供たちの80%が必需品(通学服、靴、教科書、文房具等)を寄付に頼っています。

  • 最近まで学校の近辺に地雷(ポル・ポト軍が埋めた)が2個埋まっていました。

  • 校舎が古く、狭いです上部の壁はなく、木組みです、雨や強風になると授業ができません。また屋根はトタンなので午後は暑くて授業ができません。

Q:信条とされている言葉、大事な事を決定する時に思い出す言葉などありますか?

  • 1979年にポル・ポト政権崩壊後も1998年迄ここにポル・ポトの残軍がいました。 学校にポル・ポト軍が入って来た時私は、「軍隊はここにはいらない。」「出て行ってくれ」と言いました。

若い先生(20歳代の2人)とご一緒に貴重なお話を伺いました。

若い先生に聞きました。

Q: レム・チェン先生と一緒に働かれていてどういう印象を持たれていますか?

  • 幸せです。今までの経験と過去の状況を直接お聞きできるのはとても幸福な事だと思います。

授業中のレム・チェン先生



Q.今日は、Grade5,6(小学校5,6年)の生徒さん達に数学を教えられていました。授業の内容などはどこで勉強されるのですか?

  • 主にインターネットを利用しています。インターネットで出来るだけ新しい情報を入手して、子供たちに教えます。

 レム・チェン先生の板書です。字は読めませんが、とても丁寧に書かれているのが分かります。そして一字一字力がこもっています。 私が一番驚いたのがこの板書です。


午前中で授業が終わった後、先生は凸凹の山道をバイクの後ろに生徒さんを乗せて下りていきました。

インタヴュー後記

レム・チェン先生のお話を聞けたのは、まったくの偶然でした。私はKHJグループの一員としてカンボジア各地の小学校へ行き、校舎の状況を上司に報告して、ブログを書く仕事をしています。クラークモア小学校へ行き、先生方の年齢をお聞きしました。そして76歳の現役(ボランティア)で生徒さん達に教えている先生がいると教えられました。

先生が教師になられた1979年はカンボジアにとって特別な年です。この年の1月7日にポルポト政権が崩壊しています。 1月7日は「Victory Day(解放記念日)」として祭日になっています。 この年、先生は31歳で大学で学びなおし、先生になられています。

私は、先生が毎日書かれている板書の文字に先生の「志」を感じます。

先生はお元気です。 でも76歳です。 私は是非日本の特に先生を目指す若者たちに直接先生と会って話し、彼の書く板書を直接見て欲しいと思いました。


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